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石垣島フィールド日記

石垣島のフィールドで出会った自然&野鳥を毎日紹介していきます。 石垣島 野鳥観察 、野鳥撮影 バードウオッチング、自然観察、石垣島ナイトツアーは石垣島フィールドガイドSeaBeansを宜しくお願いします。  ※当サイトで紹介している画像その他内容無断転載・転用を禁じます。

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今日も良い天気!!

「歴史探訪&カラ岳登山」の半日ツアーに出かけて来ました。

大学で研究をされていて、
滞在中に関係者の方々が講演もされるそうです。

まずは大浜集落近辺から回りました。

ヤエヤマの英雄と言われているオヤケアカハチ。

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明和の大津波の大岩等を廻り、
オヤケアカハチの集落だったと言われているフルスト原遺跡。

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白保集落、近辺についてはWWFさんご村に行って、
スタッフの方にお話を聞かせていただきました。

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そして工事を進む新空港を横目に見ながら、
カラ岳に到着。

草むらをかき分けて登ります。

凄い草でした!!

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頂上からの風景。

海側の山は重機で削られています。

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ジリジリと強い日射しを感じながら、
頂上で「ゆんたく」です。

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いろんな話しをして、
とても楽しい時間を過ごせました。

有り難うございました。

またお会いしましょうね!!

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屋良部岳山頂の大岩の上に
何かが設置されたであろうと思われる跡があります。

1130yarabusennseki.jpg

コンクリートで丸く固められ、
4本のボルトが突き出ています。

これは太平洋戦争時に設置された機銃台座跡です。

石垣市の資料によると海軍が設置し、
兵隊数名が配置されたが実際には砲撃することが無かったとのこです。

石垣島には至る所に戦跡が人知れず残っています。
山の中、農地、民家・・・
身近なバンナ公園や前勢岳にも戦跡が何カ所も残っています。

でも人知れずと言った感じで、
保全も紹介もされていません。

僕のような戦争を知らない世代が増えいく時代に、
過去の戦争を知る貴重な跡を保存し伝えて欲しいと願います。

戦時中、
この場所に配置された人々は、
ここからの風景をどのような気持ちで見つめていたのでしょうかね。

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気まぐれ更新!!石垣島TeaTree
早めに仕事を終えたので、
一人で自然観察をしていたら、
以前から探していた大浜の壕に、
偶然たどり着きました。

とても堅い琉球石灰岩を手堀りで約10m程掘られた壕です。
資料によれば周辺に7カ所の壕があるとなっていますが、
他の壕は私有地内にあるらしく、
探す事ができませんでした。

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今日は雨だったので、
地を伝って流れ落ちる水の音が、
狭く暗い壕の中に、
悲しげな音を立てていました。


石垣島探鳥記録
カンムリワシ、サシバ、チョウゲンポウ、、アマサギ、コサギ、、イシガキヒヨドリ、イソヒヨドリ、シロハラ、アカハラ、キセキレイなどなど

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石垣島内には多数の戦跡が残っていますが、
その多くは畑、山林などに眠っています。

戦後半世紀が過ぎ、
崩れたり、
その跡が消えてしまっている戦跡もあります。

人が戦争という、
悲しい歴史を繰り返さないためにも、
こういった貴重な戦跡を次世代に残せたらと願います。

八重山の戦争や歴史を知る為に、
重要な遺跡や戦跡を廻ってきました。

悲しい事等からめを反らすのは簡単ですが、
やはり事実を受け入れ、
未来を見ることが大切だと思います。

戦跡を巡ることが大切なのでは無く、
過去を知り、
考えることが大切ですよね。



普段は何も居ない壕の中に、
数百頭の小型コウモリ(多分ユビナガコウモリ)が居ました。
常時コウモリが生息している場所には、
地面がフカフカになるほど糞が堆積しているのですが、
この壕には糞がありませんでした。

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この子達が住み家としている洞窟に何かあったのかもしれません。
ひょっとすると空港関係の工事でしょうかね~。

一時的に避難してきているように思えました。

一時的であって欲しいです。



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今白保に新空港が建設されています。

白保には昔、
戦争中にも日本軍の飛行場がありました。

今では面影など残っていませんが、
毎年のように発見、
処理される白保地域での不発弾が、
当時を物語っています。

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白保にも戦跡が数カ所あると、
石垣市の資料にあったので以前から気にして廻っていたのですが、
今日発見しました。

いつも探鳥している場所の近くでした。

ここに同じような壕が3カ所あります。
「与那原の壕跡」と資料にありましたが、
詳細は不明です。
近くには空港の格納庫壕も数カ所あるらしいです。

こういった戦跡は保存されていません。
多くの人は壕と戦争が関連することに気づいていないかもしれません。
島内には至る所に、
こういった戦跡が静かに、
何も語らずに眠っています。

多くの人にも、
戦跡に気づき、
戦争について考え、
共に平和を願いたいです。

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石垣市内にある石垣島地方気象台の壁です。

数年前に道路整備工事に伴ってか、
老朽化した壁を新しく改修工事が行われました。

でも約3mの幅だけ昔の壁が残されているのを、
ご存じでしょうか?

道路、歩道に面しているので、
人の目には付きやすい場所です。

でも脚を止め、
この古い壁を見つめている人には、
ほとんど出会った事がありません。

この壁を良く見ると、
穴を塞いだ跡が何カ所かあるのが判ります。

この穴は弾痕の跡なんです。

太平洋戦争時に米軍に攻撃されて出来た跡です。

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壁周辺には、物語を伝える表示はありません。

ただ1928年から立っている古い壁の一部が残っているだけです。

跡だということを表示し、
多くの人に伝え、残すべきだと思います。

石垣島内には、まだ多くの戦跡が残っていますが、
そのほとんどは保存はされてなく、
ただ朽ち果て、
放置されているものがほとんどです。

忘れてしまいたい悲しい過去ですが、
それでも後世に伝えなければいけない過去でもあります。

石垣島でも戦争があり、
多くの悲しい話や場所が残っていることを、
多くの人に知って貰いたいです。

そして、
そこから平和について考えてもらえたらと願います。

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今日も寒い日でした。
でも半袖で歩いている人もいるんですよね。
僕は寒がりなので、
他の人たちよりも、
いつも厚着です。

夕方に以前から気になっていた、
戦跡があると思われる場所の近くを通りかかったので、
その場所を探して見ることにしました。

戦跡を記した資料と友人から以前聞いた記憶と、
カンを頼りに探して歩きました。

川沿いの森に人が歩いて植物を踏み倒し、
うっすらと道になっていました。
その道を迷いながらも進むと、
ありました。

うっそうとしたジャングルに隠され、
岸壁に大きな穴が空いていました。

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太平洋戦争時に観音寺部隊が使用していた壕です。

この辺りは戦争時には平喜名飛行場があった場所で、
その地下には無線室や倉庫などの壕が掘られました。

近くに、この壕以外にも壕と地下室が確認されています。

今日は場所を確認するだけなので、
中には入りませんでした。
資料によると、この戦跡は石垣島に現存する最大のものみたいです。

穴は朝鮮人労働者や地元の人々によって掘られたそうです。

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石垣島には多くの戦跡が残っています。
でも、その多くは人知れず朽ち果てて消えて行こうとしています。
この悲しい歴史を繰り返さない為にも、
こういった貴重な時代の傷跡を伝え、
残し行くべきだと思います。

戦後半世紀を過ぎ、
この先、この悲しい戦争を語り継いでいくのは、
僕たち戦後世代なんですからね。

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近くの水辺では静かな時が流れていました。

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白保集落を通過する道路沿いに
下の様な案内板があります。

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「真謝井戸(マジャンガ)」????
なんだそれって感じですよね。

この案内に従って、
道を歩いていくと右手側に荒れた感じの
ブロック塀と史跡真謝井戸と書かれた杭が見えてきます。
ますます?です。

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ここが真謝井戸の跡です。


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草や雑木に覆われ、
独特の雰囲気をかもし出しています。

今までは朽ちた案内板で文字が判読できな状態でしたが、
昨年、周囲が整備され、
下記のような案内石板が設置されました。
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とても重い歴史がある井戸なんです。

石垣島、八重山の人は井戸を、
とても大切されます。
道路中央、畑の中などなど、
井戸を壊さずに大切に残されている場所が沢山残っています、
いろんな思いが込められているのでしょうね。

歩くスピードを落とすと、
いろんなものが見え、
そして感じ、学ぶことができますよ。

石垣島の歴史を巡る旅は 石垣島フィールドガイドSeaBeans
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八重山の英雄と言われているオヤケアカハチの像です。
この像は作家等の想像によって作られています。

15世紀、オヤケアカハチは波照間島で生まれ育ちました。
その後石垣島大浜の酋長になり、
琉球王府の重税に苦しむ、
民の為に税を拒み、王府と戦い、
そして命を落としたとされています。

今でも大浜集落にはオヤケアカハチが作ったとされる、
城跡、フルストバル遺跡が残っています。
そして大浜集落では毎年アカハチ祭りが開催されています。

苦しみに耐え忍び、
そして立ち上がる事しかできなかった、
当時の苦しみは、
僕の想像を超える悲しみだったと思います。

今も昔も争いは絶えないのかな?
現空港の北西辺りの茂みの中に、
ひっそりと残っている戦跡があります。

戦闘機格納庫です。

現滑走路を60年以上、
茂みの中から見つめ続け、
多くの人々を乗せた飛行機を見つめて来て、
何を想っているのでしょうか。

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石垣島内には一般には、
あまり知られていませんが、
多くの戦跡が残っています。

しかし、その多くは荒れ果て、
朽ちていっています。

戦争の体験を語ってくれる世代が少なくなっています。
悲しい歴史を繰り返さない為に、
もっと僕たちが、
この戦跡を知り、
そして学び、
次世代に残していかなければいけないと思います。

次の世代に語り継ぐのは、
僕たちの役目です。