
八重山の英雄と言われているオヤケアカハチの像です。
この像は作家等の想像によって作られています。
15世紀、オヤケアカハチは波照間島で生まれ育ちました。
その後石垣島大浜の酋長になり、
琉球王府の重税に苦しむ、
民の為に税を拒み、王府と戦い、
そして命を落としたとされています。
今でも大浜集落にはオヤケアカハチが作ったとされる、
城跡、フルストバル遺跡が残っています。
そして大浜集落では毎年アカハチ祭りが開催されています。
苦しみに耐え忍び、
そして立ち上がる事しかできなかった、
当時の苦しみは、
僕の想像を超える悲しみだったと思います。
今も昔も争いは絶えないのかな?
今日も晴天、
とても暖かい一日でした。
お昼にコピーを撮りにコンビニに行きました。
コピーを撮りながら外を眺めていると、
窓の端っこの角にずんぐりとした蜂が1匹。
ジーっとして全く動かない、
死んでいるのかと思い、
ツンツンと突いたら、
ヨソヨソと力ない感じで少し体を動かしました。
コピーを撮り終え、
僕と一緒に店外に連れ出しました。
そして街路樹のタイワンレンギョの葉に置いてあげると・・・。
おおお!!
腰をフリフリ、
踊り始めました。
なんだか嬉しそうです。
それとも太陽の陽射しがむず痒いのかな?

太陽の陽の下で見ると、
とても美しい青い色のライン、
そして可愛らしい蜂でした。
元気でね!!
アオスジコシブトハナバチ:ケブカハナバチ科 琉球列島に分布する。
とても暖かい一日でした。
お昼にコピーを撮りにコンビニに行きました。
コピーを撮りながら外を眺めていると、
窓の端っこの角にずんぐりとした蜂が1匹。
ジーっとして全く動かない、
死んでいるのかと思い、
ツンツンと突いたら、
ヨソヨソと力ない感じで少し体を動かしました。
コピーを撮り終え、
僕と一緒に店外に連れ出しました。
そして街路樹のタイワンレンギョの葉に置いてあげると・・・。
おおお!!
腰をフリフリ、
踊り始めました。
なんだか嬉しそうです。
それとも太陽の陽射しがむず痒いのかな?

太陽の陽の下で見ると、
とても美しい青い色のライン、
そして可愛らしい蜂でした。
元気でね!!
アオスジコシブトハナバチ:ケブカハナバチ科 琉球列島に分布する。
今日も帰り道、
宮良の海岸を散策してきました。
宮良村と川平村の海岸沿いに、
太平洋戦争時の特攻艇を格納した壕があります。
川平のものは訪ねたことがあるのですが、
近くの宮良のものは訪ねたことがありませんでした。
今日は壕を探しながら、
宮良の海岸線を歩いてみました。
が!!歩いても歩いても、
そのような壕はありません。
川平や小浜島にある格納壕は海に面した場所にあったのですが・・・。
浜で漁をしている方に聞いても、
知らないとのこと。
数人の方に訪ねて、
やっと場所が解りました。
宮良へ向かう登り坂の直ぐを、
北側に下だる脇道を下りると、
鉄筋工の作業場とキビ畑があり、
その脇道の突き当たりに、
ひっそりと草木に覆われた穴がありました。
最初は場所が良く解らなかったので、
作業場の人に聞くと、
「あんたの目の前だよ。
昔、特攻艇が置いてあった場所だよ。」
と教えて貰いました。

上の写真だけを見ると、
うっそうとしたジャングルの中に
あるように見えるのですが、
実際は背後に県道が走り、
キビ畑と作業場があります。
そして穴の周囲にはゴミも散らかっていました。
この壕は第三八震洋隊旅井部隊の特攻艇格納壕です。
この壕とは約100m海沿いに行った場所、
赤馬の碑の真下辺りに第23震洋隊幕田隊の特攻艇格納庫があります。
こちらには、今日は行けませんでした。
また前に広がる海岸にも多くの銃眼があり、
特攻艇用の桟橋もかすかに残っているらしいのですが、
今日は確認できませんでした。
島内には、
今でも沢山の戦跡が微かにですが残っています。
でも、その多くは人々に知られるでもなく、
放置、忘れ去られています。
戦後61年が過ぎ、
戦争を知らない世代のほうが多い時代です。
だからこそ、過去の悲しみを繰り返さない為にも、
このような場所を残し、
島内外の人知ってもらい、
学びの場として守って欲しいと思います。
僕はこの場に立ち、
いろんな事を想像しました。
とても悲しい気持ちになりました。
宮良の海岸を散策してきました。
宮良村と川平村の海岸沿いに、
太平洋戦争時の特攻艇を格納した壕があります。
川平のものは訪ねたことがあるのですが、
近くの宮良のものは訪ねたことがありませんでした。
今日は壕を探しながら、
宮良の海岸線を歩いてみました。
が!!歩いても歩いても、
そのような壕はありません。
川平や小浜島にある格納壕は海に面した場所にあったのですが・・・。
浜で漁をしている方に聞いても、
知らないとのこと。
数人の方に訪ねて、
やっと場所が解りました。
宮良へ向かう登り坂の直ぐを、
北側に下だる脇道を下りると、
鉄筋工の作業場とキビ畑があり、
その脇道の突き当たりに、
ひっそりと草木に覆われた穴がありました。
最初は場所が良く解らなかったので、
作業場の人に聞くと、
「あんたの目の前だよ。
昔、特攻艇が置いてあった場所だよ。」
と教えて貰いました。

上の写真だけを見ると、
うっそうとしたジャングルの中に
あるように見えるのですが、
実際は背後に県道が走り、
キビ畑と作業場があります。
そして穴の周囲にはゴミも散らかっていました。
この壕は第三八震洋隊旅井部隊の特攻艇格納壕です。
この壕とは約100m海沿いに行った場所、
赤馬の碑の真下辺りに第23震洋隊幕田隊の特攻艇格納庫があります。
こちらには、今日は行けませんでした。
また前に広がる海岸にも多くの銃眼があり、
特攻艇用の桟橋もかすかに残っているらしいのですが、
今日は確認できませんでした。
島内には、
今でも沢山の戦跡が微かにですが残っています。
でも、その多くは人々に知られるでもなく、
放置、忘れ去られています。
戦後61年が過ぎ、
戦争を知らない世代のほうが多い時代です。
だからこそ、過去の悲しみを繰り返さない為にも、
このような場所を残し、
島内外の人知ってもらい、
学びの場として守って欲しいと思います。
僕はこの場に立ち、
いろんな事を想像しました。
とても悲しい気持ちになりました。