今日も帰り道、
宮良の海岸を散策してきました。
宮良村と川平村の海岸沿いに、
太平洋戦争時の特攻艇を格納した壕があります。
川平のものは訪ねたことがあるのですが、
近くの宮良のものは訪ねたことがありませんでした。
今日は壕を探しながら、
宮良の海岸線を歩いてみました。
が!!歩いても歩いても、
そのような壕はありません。
川平や小浜島にある格納壕は海に面した場所にあったのですが・・・。
浜で漁をしている方に聞いても、
知らないとのこと。
数人の方に訪ねて、
やっと場所が解りました。
宮良へ向かう登り坂の直ぐを、
北側に下だる脇道を下りると、
鉄筋工の作業場とキビ畑があり、
その脇道の突き当たりに、
ひっそりと草木に覆われた穴がありました。
最初は場所が良く解らなかったので、
作業場の人に聞くと、
「あんたの目の前だよ。
昔、特攻艇が置いてあった場所だよ。」
と教えて貰いました。

上の写真だけを見ると、
うっそうとしたジャングルの中に
あるように見えるのですが、
実際は背後に県道が走り、
キビ畑と作業場があります。
そして穴の周囲にはゴミも散らかっていました。
この壕は第三八震洋隊旅井部隊の特攻艇格納壕です。
この壕とは約100m海沿いに行った場所、
赤馬の碑の真下辺りに第23震洋隊幕田隊の特攻艇格納庫があります。
こちらには、今日は行けませんでした。
また前に広がる海岸にも多くの銃眼があり、
特攻艇用の桟橋もかすかに残っているらしいのですが、
今日は確認できませんでした。
島内には、
今でも沢山の戦跡が微かにですが残っています。
でも、その多くは人々に知られるでもなく、
放置、忘れ去られています。
戦後61年が過ぎ、
戦争を知らない世代のほうが多い時代です。
だからこそ、過去の悲しみを繰り返さない為にも、
このような場所を残し、
島内外の人知ってもらい、
学びの場として守って欲しいと思います。
僕はこの場に立ち、
いろんな事を想像しました。
とても悲しい気持ちになりました。
宮良の海岸を散策してきました。
宮良村と川平村の海岸沿いに、
太平洋戦争時の特攻艇を格納した壕があります。
川平のものは訪ねたことがあるのですが、
近くの宮良のものは訪ねたことがありませんでした。
今日は壕を探しながら、
宮良の海岸線を歩いてみました。
が!!歩いても歩いても、
そのような壕はありません。
川平や小浜島にある格納壕は海に面した場所にあったのですが・・・。
浜で漁をしている方に聞いても、
知らないとのこと。
数人の方に訪ねて、
やっと場所が解りました。
宮良へ向かう登り坂の直ぐを、
北側に下だる脇道を下りると、
鉄筋工の作業場とキビ畑があり、
その脇道の突き当たりに、
ひっそりと草木に覆われた穴がありました。
最初は場所が良く解らなかったので、
作業場の人に聞くと、
「あんたの目の前だよ。
昔、特攻艇が置いてあった場所だよ。」
と教えて貰いました。

上の写真だけを見ると、
うっそうとしたジャングルの中に
あるように見えるのですが、
実際は背後に県道が走り、
キビ畑と作業場があります。
そして穴の周囲にはゴミも散らかっていました。
この壕は第三八震洋隊旅井部隊の特攻艇格納壕です。
この壕とは約100m海沿いに行った場所、
赤馬の碑の真下辺りに第23震洋隊幕田隊の特攻艇格納庫があります。
こちらには、今日は行けませんでした。
また前に広がる海岸にも多くの銃眼があり、
特攻艇用の桟橋もかすかに残っているらしいのですが、
今日は確認できませんでした。
島内には、
今でも沢山の戦跡が微かにですが残っています。
でも、その多くは人々に知られるでもなく、
放置、忘れ去られています。
戦後61年が過ぎ、
戦争を知らない世代のほうが多い時代です。
だからこそ、過去の悲しみを繰り返さない為にも、
このような場所を残し、
島内外の人知ってもらい、
学びの場として守って欲しいと思います。
僕はこの場に立ち、
いろんな事を想像しました。
とても悲しい気持ちになりました。
宮良の豪は2箇所ともに私有地内にあり、今では遠くからしか見ることが出来なくなりました。
海軍石垣島警備隊の震洋隊特攻ボートの格納豪が残っているんですね。あなた様のお陰で石垣島に確かに戦跡が残っている事を知る事が出来ました。有難うございます。是非案内して頂きたいです。
陸にある戦跡の多くは私有地にあるため、
保存や表示をすることが難しいらしいみたいです。でも貴重な戦跡ですから、未来に残しておきたいですよね。
特攻艇の隠匿壕は本島の海岸にも数ヶ所残っています。しかし、護岸工事などで跡形もなくなっている所もあります。
こうした戦跡は行政がきちんと保存して頂きたいと思います。